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阪神淡路大震災24年

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24年前の1月17日に、日本では初めて大都市に大地震が起こりました。
約6,500人の死者・約43,000人の被災者という未曾有の大災害でした。
あの日から24年が経ち、街からは地震の形跡などは消え、災害を知らない世代も増えました。

発生直後は人命救助が最優先でしたので、自衛隊・レスキュー隊・警察などが現場にて懸命に活動しており、我々ライフラインの専門職は1月末に現地に派遣されました。
全国からガス事業者が約10,000人集結と聞きましたが、街中でガス工事・水道工事・電気工事を施工していたのを覚えています。
私は神戸市の灘区という、特に甚大な被害を受けたエリアで復旧作業をしておりました。
復旧作業と言いましても、他の都市ガスメーカーのパイプラインを施工するのも初めてでしたので、材料の違いやその材料の品質管理など、勝手が分からずに初めの3日くらいは、かなり苦労いたしました。
現在のようにカーナビなどありませんので、土地勘がなく、地図を見ながら現場に行くルートにも苦労しました。
そして、六甲山から吹く乾いた冷たい風も、記憶に残っています。

大阪ガスの担当者の方に、住所が書かれたメモを渡され、
担「ここに行ってください!」
私「わかりました!内容はどのような?」
担「わかりません‼」
私「え?管種や口径は?」
担「わからないので、とりあえず掘削して下さい!」
このようなやり取りでした。
掘削して漏洩個所を特定して、材料を手配する。
2度手間ですが仕方ありません。
とにかく一つ一つを改善していくしか手がありませんでした。
そこにあるのは「使命感」しかなかったと思います。
あの場所で人命救助や復旧作業をしているすべての方が、
自分の持つ技術や知識を発揮して、初めての経験の中で懸命に活動されていたと思います。

あの日から24年の間、各地で様々な甚大な自然災害が発生し、その都度、各分野の専門職の人々が、災害を1日でも早く収束させるため尽力されておられます。
被害に遭われた方はもちろん、収束のためにそれに携わった方。
決して忘れることはなく、風化することもない出来事です。

現在は、様々な分野で災害を防止する研究や開発、システム化など、多くの方々が試行錯誤を繰り返し、少しづつ進歩していると思います。
「文明 vs 自然災害」
永遠のテーマです。

株式会社柏眞では、インフラ維持管理公益事業者として、最高の品質の耐震性パイプラインを埋設し、人々の社会生活のお役に立てるよう、今日も安全に現場を施工しております。